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行動を失うことで気付くリスク

Posted by sloth401 on 09.2013 頭の中   0 comments   0 trackback
先日「完全なる習慣化」と題して習慣化された行動を失う不安について触れた。

私が不安を感じたは通勤時の話で、一級建築士の勉強のためのテキストとマスクを忘れたことに対してのもの。
そして、習慣化されたものを失うことを不安と表現したが、その点について知人から興味深い指摘を頂いたのでおさらいしておく。

知人曰く、習慣化されたものを失うことそのものが不安なのでは無い、と。
習慣化を失うことで、それらをしていない事のリスクに気付くのだ、と。
行動を起こす前には、そのリスクには気付いていないことが多い。
そして行動を起こし始めても、それらの良さは感じても行動しないリスクには気付かない。
行動を失った際に、行動しないことのリスクを認識することが出来る、と。

私の場合は一級のテキストを忘れ勉強を失った事により、勉強を始める前のなんの向上努力も払わない自分の姿を認識出来たということになる。
認識したことで、自分にとってそれがどんなに嫌なものなのかを感じ、そしてそんな自分に戻ってしまうことに不安を覚えた、と。
マスクにしても同様。
不特定多数が集うバスの車内にて、風邪等の予防に対して始めた行動。
マスクを失うことで初めて、マスクを着用することに如何に安心感を得ていたのかに気付いたに過ぎない、と。

歯磨きするのを失ったからといって不安までは感じない。
朝、ハンカチを取り忘れたからといって同じく不安は感じない。

つまり、習慣を失うことそのものが不安なのでは無い。

習慣を失うことで気付く、行動を失うリスクが不安なのだと。
一級で言えば、元の嫌な無向上な自分の姿。
マスクで言えば風邪等のリスク。

習慣化を失うことを不安と表現したのはオカルトに過ぎるなと、そう思う。
で、そういう事にしたい自分がいたのでは、と思えて来た。

継続にしろ、その先の習慣化にしろ自分が得ようとしているもの。
不安を感じたことをきっかけに、習慣化を得たとそう思いたかったのではないか、と。

現実はというと習慣には程遠い道半ば。
しかしながら、失うリスクに対して不安を感じるられるようになったのは、自分にとっては大事な一歩であることには間違い無い。
が、本当に小さな一歩であることもまた忘れてはならないと自分に言い聞かせる。

道半ばというより寧ろ歩き始めた、いやはいはいを始めた赤子に過ぎないと。

歩こうが這おうが構わない。
とにかく前進あるのみ。
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